今月初めの連休中に、池田へ行って来ました。
ぶらぶらと、気ままに車を走らせていると「資料館」の看板が目に付いたので、寄ってみたのです。
ここは、道東道の池田インターチェンジ近く、高島地区にある池田町郷土資料館で、画像でおわかりのように、元は高島中学校だった建物を利用しています。
さっそく入館してみると、やはり近くには農業関係の展示室がありました。
こういった農具関係はまあ、わりとよく見る展示品なのですが。
この展示室の壁にあるものが、なかなかに興味を引くものでした。
池田町の歴史は、この高島地区に大規模牧場が造られたことから始まり、鉄道の駅ができるまで、池田町の中心は高島だったのだそうです。
明治33年に水田試作地がつくられ、明治41年には本格的に稲作がなされていたと、初めて知りました。
今でこそ十勝は畑作中心で、水田のイメージはありませんでしたが、減反政策で畑作へ転換されるまで、池田は水田地帯だったのです。
そう言われてみると、この近隣の畑は、水田だった頃の名残があるようにも見えます。
先月書いた田園ホールの由来はこれだったのですね。
玉置浩二じゃなかったようです。(笑