鉄馬、と言うと、通常はオートバイのことを例えた言葉ですが、今回のはそれではありません。
昨日書いた飛行場跡の記録を見に、音更町の資料館を訪ねた時のこと。
様々な資料があって楽しかったのですが、個人的に最も興味を引かれたのがこれ。
入り口付近に、古いジープが置かれていたのです。
あまり規模の大きな資料館ではないので、まさかこんな実車が展示されていたとは、かなり驚きでした。
こんな話を書いても、誰もわからないと思いますが、今や「ジープ」と言っても、若い方は高級輸入車のそれを連想すると思いますが、昭和の時代は三菱重工(後に三菱自工)で生産されていました。
戦後の昭和20年代、こういった小型4輪駆動車、ひいては自動車を開発・生産する能力がまだなかった日本は、海外から技術を買い入れていました。そのひとつが、米軍が使用していたウイリス社のジープ(当時、ジープは様々なメーカーが同様の車を生産していました)で、これの生産権を三菱が買い取り、国内で製造を始めました。
世界の最先端技術を持つに至った、日本の工業力もほんの60年ほど前までは、今日の発展が誰も予想し得ないほど弱小でしかなく、そしてここから様々な技術を、驚くほどのスピードで学び取って行くのです。
展示されているジープは、国内で生産を始めたばかりのもので、三菱のマークはまだどこにもなく、グリルやボンネットには「WILLS」の浮き文字が残ります。
いちおう民生用という仕様にはなっているものの、まだ米国仕様そのままだったので、左ハンドルです。
そして、この車がなぜ今日まで生き残っていたかの理由が、後部にあります。
これは油圧の昇降装置で、トラクターが普及していなかった当時、馬の代わりに農作業に使われていたとのこと。
移動手段から農作業まで、まさに万能車。文字通りの鉄の馬であったわけです。
実は、上富良野町にある、スガノ農機さんのトラクター博物館にも、北見で使用されていた同様のジープが保存されているのですが、その同型車が他にも残っていたのは、まさに驚きでした。
パネルによると、当時の価格は100万円弱、現在なら2500万円ほどにもなるそうで、まさに家宝としてそれはそれは大事に使われていたようです。
この時代のジープは、上記のような経緯で1953年に生産が始まり、1998年まで、実に45年もの間、外観はほぼそのままで作られ続けました。しかし、細かな仕様変更は生産初期からかなり多岐に行われており、特に生産初期のモデルについては、当の三菱にすらほとんど資料が残っておらず、軍用から民生用に変更された点など、細部は謎な部分が多いと言われています。そのため、こういったジープの歴史を、真剣に研究している方もいるそうです。
そんなわけで、ジープは自治体や企業でも多数使わてもいましたが、ほとんどが酷使されて廃車になってしまっているので、生産極初期のこの個体は、かなり貴重なものであることは間違いありません。
いち車好きの意見としてだけではなく、日本の工業発展の礎になった、歴史資料として長く保存されて欲しいものです。