昨年、音更のとある施設の横を通りかかった際、そこに「音更飛行場跡」と書かれた看板があるのに気付きました。
それまで音更町に飛行場があったことなど知らなかったので、てっきり大戦中に、旧日本軍の飛行場でもあったのだろうとその時は思ったのです。
しかし調べてみると、さらに時代は遡り、大正期に造られた飛行場の跡だとわかりました。
さらに、その施設は音更町の生涯学習センターと言い、中に資料館もあることもわかったので、行ってみました。
これによると、1925(大正14)年に開設されたが、時期尚早だったらしく、わずか5年後に閉鎖されたとのこと。それも軍の飛行場ではなく、当時関東以北では初となる、民間飛行場だったそうです。
開設され、最初の飛行機が初飛行した際には、来賓300名、観客1万名が見学したとありますが、音更村(当時)の人口が1万1千名ほどだったというから、いかに注目されたのかがわかります。
まだ自動車ですら珍しい時代の飛行機。現代では大樹町で打ち上げられた、宇宙ロケットのようなものでしょうか。
資料館も様々な展示があって興味深かったのですが、ことに当時の写真が何枚か飾られていて、興味を引かれました。
飛行機だけではなく、昭和初期の乗合バスやタクシーの写真もあり、これもかなり珍しいものです。
施設近辺は、「雄飛ヶ丘」の地名にその歴史を残しており、町内には「ぎんよくの沢公園」もあり、これも飛行機の銀翼から来たものでしょう。
なにもかもが新しく、時代を作り上げていった途上の当時、こんな熱意もあったのだなあと、改めて知る機会となりました。