落ち穂拾い

 先日の雪も日中の暖気で、めでたく融けたのですが。
 当然、クレーターもすっかりなくなり、あとには散らばった小石。

 冬の間に、ここへ除雪した雪を捨てているので、その際に交じった砂利ですね。
 これを、落ち穂拾いよろしくひとつひとつ拾い上げなくてはなりません。

 中腰での作業なので、けっこう腰に来ます。(泣

 今年は捨てる雪の量が多かったせいでしょう、石の数も例年になく多いものでした。

 ちりとりで取りましたが、これはほんの一部。実際はこれ×5回です。

 バケツで取れば良かったのだと、後になって気付くやつ。(←頭悪いんです

 まあこれで、春の準備は完了、ってとこですか。

謎のドア

 近所にちょっと不思議な建物があるのを、見つけました。

 手作りの物置らしき、高さ1mちょっとの小屋なのですが、注目はドア。

 …どうみてもこれ、古い車のドアの流用ですよね。

 南京錠の付け方が実に渋くて、いい味を出しています。
 これ開けて入ったら、昭和の時代にタイムスリップするかも知れません。

 しかし旧車好きとしては、何という車のドアなのか気になります。
 色と形状からして、昭和40年代のもので、商用車、恐らくは小型トラックであろうと思われます。 
 当時たくさん走っていた、トヨタのトヨエースあたりでしょうか。

 …なんてことを、車関係のSNSに書き込みましたら、さっそく友人が反応してくれまして。

 曰く「タイヤ部分の逃げがなく、ハンドルの位置と形状から、トヨエースではないと思う。」

 で、提示された車がこれ。

 形状といい、色といい、みごとにドンピシャですね。

 昭和43年から昭和48年まで、日産で作られていた、キャブスターというトラックです。
 当時の小型乗用車、チェリーのエンジンなどを流用して開発された小型トラックの初代モデルで、あの時代よく見かけたものでした。

 自分も大概マニアな方で、古い車もそれなりに知っているつもりでしたが、ここまで言い当てられるとは、マニア恐るべし。

 その友人とは、ラリーなどの競技と航空機繋がりだったので、彼が旧車にも詳しいのは驚きでもありました。

 …しかしなんでわざわざトラックのドアを使ったのかは、依然謎のままです。

 なので、謎シリーズってことで。(いやシリーズじゃないし)

雨のち雪融け

 昨日は曇りの予報でしたが、午後から雨となりました。

 ふだんなら、雨だと陰鬱になるものですが、この時期だけは雪融けが進むので、雨も歓迎などと勝手なことをほざいております。

 でも、昨日はあまり気温が上がらなかったせいか。
      ↓

      ↓

 …あんまり融けませんでしたね。(笑
 風もけっこう吹いていたので、もっと融けるかと、期待していたのですが。
 まあでも、4月ももう半ば。初めの頃にくらべれば、ぐんぐんと嵩は減ってきています。

 ガレージ前は、雪融けでまだ少し芝生が湿ったままですが、今日はかなり気温も上がったので、雪のない時期に足代わりにしている、原付を引っ張り出しました。

 趣味性もほんの少し入っていますが、小回りが利くので実際足代わりとして、使えると重宝なのです。

謎が謎を呼ぶ

 昨日のブログは小ネタのつもりでしたが、意外なほど反響がありました。(笑

 で、友人より「アルバータ通は姉妹都市関係では」と「中島通は中島みゆきさん由来では」とのご意見をいただいて、驚いた次第です。
 気になったので、昨夜ちょっと調べてみました。

 するとどうもカナダのアルバータ州と姉妹提携しているのは、帯広市ではなく、北海道のようです。
 帯広市が海外と姉妹都市として提携しているのは、アメリカのスワード市とマディソン市、友好都市として中国の朝陽市との提携があるようですので、アルバータ州は関係ありません。

 しかし、帯広青年会議所(JC)が1981年にアルバータ州エドモントン市と、姉妹JCの調印を行った、との記述を見つけましたので、これに絡んでいるのではないかと思います。

 道のHPでも、アルバータ州と1972年から交流がはじまり、80~90年代は盛んに交流がされていたことが記されています。

 中島通の方も、これまたはっきりした記述を見つけられませんでした。
 中島みゆきさんの祖父は、帯広市議会議長も努めた中島武市氏であることは、有名です。
 十勝開拓の祖である依田勉三の銅像を寄贈したことから、十勝支庁近くにある、中島公園にその名が残っており、中島通の名も武市氏由来ではと考えましたが、記述がありません。中島通は公園とは繋がっていませんし、中島みゆきさんの実家や卒業した帯広柏葉高校とも離れていますので、これも謎が深まりました。

 ちなみに、中島みゆきさんのCDもいちおう、古いのを2枚ほど持っています。

 オールナイトニッポンのパーソナリティーだった時代、初回から聴いていたので…という話を書くと長くなるので割愛。

 結局のところ、なにもわかっていません。(笑
 まあ、帯広市史でもちゃんと読めば、そのあたりの経緯はわかるような気もしますが。

謎のふたつ名

 西帯広に、中島通というところがあります。

 買い物や所用でけっこう通るところなのですが。

 帯広川を渡る橋のたもとに、なぜかトーテムポールが建っていて、以前から気になっていました。

 しかもそこには「アルバータ通」の表記も。

 なぜふたつ名があるのか、なぜアルバータ通なのか、ちょっと調べてみたのですが、謎なんです。

 このティピーとおぼしきオブジェも、また謎です。

 誰か教えてください。

響け!…いや響かなくていいから

 ネタ枯渇中なので、今日も回想録です。(笑

 帰省時には、苫小牧から八戸までのフェリーに乗船したのですが、往きは二等寝台室を取ってありました。
 フェリーというと、大概の方は、二等大部屋の雑魚寝を想像されることと思いますが、私は極力寝台か個室を取るようにしています。

 もちろん下船後、車の運転を見越してなるべく熟睡するためなのですが、二等室(大部屋)だと消灯時間まで灯りは点いているし、安全上、常夜灯も点きっぱなしなことや、やはりまわりがうるさいのであまり熟睡できません。
 昨今は新造船だと二等寝台も個室になっていたりと、快適性は上がっていることもあり、安宿に一泊したと思えば、追加のベッド料金は、そう高いものではないと思っています。

 しかし今回乗船した便は、古い船だったので昔ながらのかいこ棚式二段ベッド。
 まあ、ベッドなだけでも十分です。


 ※乗船した八戸便の写真がなかったので、写真はイメージです。

 二段ベッドと言っても、上段に他人が入ることはきわめて希で、少なくとも私は経験したことがありません。

 この時はけっこう疲れていたので、出航前にとっととベッドに潜り込んで熟睡していたのですが。

 突如鳴り響く音楽で、目を覚ましました。
 どうも壁を隔てた、隣のベッドの方がスマホの目覚ましをかけていたようで。
 眠い目をこすりながら、時間を確認するとまだ5時。着港は7時半なので、下船までまだ2時間近くは寝られます。

 おそらくは、通常かけている目覚ましがそのままだったのでしょう。
 隣のベッドとは壁と言っても薄いベニヤ板的なものなので、丸聞こえ。その上ご本人は一向に起きる様子がありません。

 がまんしていると、やがて音楽は止まったので、やれやれ止めてくれたか、と、また眠りに落ちかけますと。

 また音楽が鳴り響きます。
 本人が起きて止めないので、スヌーズ機能が作動してるのですね。
 しかも、スマホを壁際に置いていると見え、バイブで薄壁まで振動し、こちらは寝られたものではありません。

 けっこうな音量なので、寝台室の他の人も迷惑なはず。一向に鳴り止まないので、壁を二、三度蹴飛ばしてみましたが、反応がありません。

 こんだけ大音量で目覚ましが鳴っているというのに、起きないって、どんだけ熟睡してるんだ。死んでるんじゃないか、と、一瞬不安にもなりましたが、寝返りを打っている気配があるので、死んではいないらしい。

 本人が止めないので、この後繰り返すこと10回以上。もうメロディーまで覚えてしまいましたよ。(笑
 かかっているのはアニソンっぽいなあ、と聴きながら思っていたのですが「響けキャシャーン!」だの「叩けキャシャーン!」というフレーズがあったので、アニメの新造人間キャシャーンのテーマソング。…らしい。知らんけど。
※クリックすると音が出ますので、注意。

 いや響いても叩いてもいいんですが、正義の味方が無関係の一般人を巻き込まないで欲しい。
 我々は敵組織の構成員ではないのだ。

 1時間ほどキャシャーンの強制ライブは続いて、結局私は目が覚めてしまいました。

 このキャシャーンのお兄さんだかおぢさんだか、下船時に見たら、まだ爆睡していたので、あのあとたぶん係員に起こされたと思います。
 お疲れだったのでしょうが、万一、非常事態が起きたら生き残れませんね。

オリエンテーリング

 先日帰省した折に、最終日に少し時間が空いたので、実家近隣の懐かしい場所を少し見てきました。

 その中に、中学生時代に友人たちとよく遊びに来た池がありまして、渡り鳥が北帰行を始める時期でもあり、暖かな気候も相まって、意外なほどの人出がありました。

 池の周囲には、車も通る道があり、さらに周りが山なので、ちょっとした遊歩道も設置されていたので、散歩がてら少し登ってみますと。

 遊歩道の頂上付近にこれが佇んでいました。

 オリエンテーリングのポストですね。
 オリエンテーリングとは、複数人で地図とコンパスを頼りに、設置されたポストを探し出してポストにあるスタンプを集めてゴールするタイムを競う競技です。

 昭和40年代の半ば頃に学校行事にも取り入れられていたことから、当時の教育現場で流行っていたのでしょうね。
 このポストの場所には見覚えがあり、ポストのやれ具合から見ても、当時のものかも知れません。

 個人的には「昭和の懐かしモノ」として見てしまうのですが、普及機関は現在でも活動しているようです。
 現在の学校教育の現場でも行われているのでしょうかね。あのポストの状況を見ると、今の子供達は知らないのではないかと思いますが。

 見た瞬間、当時の記憶がフラッシュバックしましたが、なのでこれを見て、懐かしいと感じる方は、たぶん同世代ではないかと思います。(笑

リカバリー

 ひさびさにやらかしました。

 個人用に使っているパソコンの動きがおかしくなってきたので、修復を試みたところ、どうも失敗したようで、まさにどツボ状態。

 やむなく初期設定に戻したので、さまざまなソフトのインストール環境設定をやり直しています。

 ショックだったのは、これまで使っていたメーラーが古すぎてもうダウンロードできず、そのためこれまでのデータが移行できなかったこと。

 思えばウインドウズが95とか98とか言っていた時代は、やたらとトラブったので、毎夜毎夜リカバリーに明け暮れていました。

 なので、いつの間にかそれなりのスキルが身に付き、フリーズしようがブルーバックが出ようが、まったく焦らず冷静に対処できていたのですが。
2000以降はずいぶんと安定して、そんなどたばたもそうはなくなり。

 久しぶりにトラブルがあると、スキルの低下を痛感しますね。

 まあ、トラブルはないに越したことはないんですが。

太平洋の表情

 昨日からの続き、というかおまけ話なのですが。(笑

 苫小牧でフェリーを降りると、さすが北海道。晴天でそれほど冷え込みは厳しい感じではありませんでしたが、停めておいた車の窓が凍っていて、発進できません。

 ここまで天気が良いならと、海沿いをえりも廻りで十勝へ帰ることにしました。

 この日は日高山脈も綺麗に見えていたのも幸い。馬産地故に、牧場の風景も多く、心和みます。

 これだけ山がきれいだと、天馬街道を通ればさぞかし良く見えそうですが、先日の大雨で雪崩が発生し、通行止めが続いているそうで、開通時期も未定とか。

 なので、黄金道路をのんびり走ります。

 ひだか側の海は、深い紺色の海面に日光がきらきらと反射して、本当にきれいでした。

 ぽかぽかと春の陽気で暖かく、もちろんアスファルトが出ているのはもとより、残雪もほとんど見かけなかったのですが、トンネルを抜けて広尾側へ出たとたん。

 路面にこそないものの、路肩にはたっぷりと残雪が。
 十勝側は大雪があったのも確かですが、えりも岬の西と東で、こんなにも違うのかと驚きました。

 そして海の色も一変します。

 濃い紺色だった海は、こちら側では鮮やかなグリーンになっていました。
 水深や潮流の関係なのでしょうね。同じ太平洋なのに、こんなにも表情が違うことに驚きです。

 なんどもこのあたりの海を眺めていますが、初めて気付いたことでした。
 自然って不思議です。