あちこちでテレビの特番が組まれたり、各媒体で報道されているように、今日であの日から8年が経ちました。
この8年が「もう」なのか「まだ」なのかは、人それぞれと思いますが、震災後に生まれたこどもたちが、物心つく年齢に達していることを考えると、今後はいかに風化させないかが鍵になってくると思います。
盛岡生まれの自分にとって、宮古とその周辺は、最もなじみ深い海でした。
幼い頃は、夏になると山田線や親の車で海水浴に行ったものです。
震災直後の5月に、ほんの少しだけお手伝いに現地に入りましたが、そこにはかつて見慣れた海は、もうありませんでした。
近くの港に、被災を免れた漁船は停泊していましたが、漁ができる状態ではありません。
誰が置いたものか、ぬいぐるみが少しだけ心を癒やすものでした。
そして1年3ヶ月後の盆に訪れてみると。
運行が停止された線路は、植物に覆われ始めていました。
けれども、海には牡蠣棚が復活しており、なによりほっとする風景でした。
しかし、これが福島になると、その状況は異なります。
これは、昨年末に双葉地区を通過した時のものです。
両側の建物には未だバリケードが張られ、住民でさえも自由に入ることはできません。
個人的には、震災直後から取り残されている、このオートバイが気になっていましたが。
草に覆われ、それはまだそこにありました。
未だに付けられたままのナンバープレートは、東京のものなので、走っている最中に震災に遭ったものか、ライダーは無事逃げおおせたのか、とても気になっています。
そんなことから、個人的には「まだ」と感じる8年です。