ほんの一週間ほど前までは。
38℃がどうの、と言ってた気がするんですが。
その差24℃って…。身体が付いていきません。
みなさまも、どうぞくれぐれも体調管理にお気を付けください。
芽室町には「愛菜屋」という、JAが運営する直売所があります。
安くて新鮮な野菜が販売されているので人気も高く、町外からも多くのお客さんが訪れます。
生粋事務所からも比較的近いので、営業している夏場はお世話になっているのですが、さすがに今の時期はまだ露地物はほとんど出回っていないため、苗の販売が中心になっています。
それでも貯蔵品のある芋玉葱は販売しているので、玉葱を買いに行きましたらば、山わさびが売っておりました。
基本辛いものは苦手な方ですが、山わさびの風味は好きなので、さっそくお買い上げ。
さしたる調理法など知らないので、オーソドックスにオン・ザ・ライスでいただこうと、すりおろしてみましたが、その最中から香りが濃いです。
ちょっと足りないかな、でもまあ、またすればいいや、と、さっそく醤油をたらして口に運びますと。
ずどん!
まさにずどん、です。つーんなんて、かわいいものではありません。
ひさびさに「脳天ぶちのめされた」感味わいました。
思わず「うぉぉぉ…」と声が出てしまいました。
強烈です。季節ものの山わさび。
でもですね、当然のことながら、風味がすごく良いのですよ。
まさにクセになる味で、悶絶しながら堪能しておりました。(笑
先週は、池田歴史資料館のネタを2連発してしまいました。
こういう近代史的なものが好きなので。(笑
と言いながら、資料館そのものをちゃんと紹介していなかったので、最後にすこしだけ(勝手に)ご紹介。
先に書いたように、この資料館は元高島中学校だった建物を利用しており、展示室は元は教室などだったところなので、表示はそのままにしていますね。

そんな中、個人的に興味を惹かれた展示物をいくつか。

家畜の診療器具です。農具の展示をしている資料館は多いですが、酪農、ことにこういう獣医関係の展示は珍しいですね。

大正期の手押し消防ポンプです。まれにこういったポンプ類が展示されていることがありますが、2台もあるのは珍しい。
この他にも消防団の器具類や衣装など、地域で大切にされていたのがうかがわれます。

貸本箱。初めて見ました。
案内文によると、大正初期に貸本屋さんが、客にサンプルの新刊本を見せて回る時に使用したとのこと。
昭和30年代に貸本が流行した話は聞いていましたが、大正期の話には驚きでした。

菓子屋さんの道具の数々。真ん中の木製のものは、らくがんの型だそうです。
これらはごくごくほんの一部。それにしても、よくぞこれだけのものを根気よく集めたものだと感心します。
また、明治期や大正期のものなど、入植した祖先が捨てずに保管していたことにもまた、驚きを禁じ得ません。
見た感じでは、本州から嫁に来たのが、良家の子女だった方が多かったと見えて、比較的上質なものを持っておられ、それだけに大切に受け継がれて来た様子がうかがえます。
こういう市井の人々の道具類は、大きな博物館などは展示されることはありません。
しかし、とても身近に歴史を感じさせてくれる、貴重な資料だと思います。
そんな資料館が私は好きですね。
池田町郷土資料館で、驚いたことがもうひとつありました。
昨日書いたように、壁に明治から昭和にかけての古い写真が展示してあったのですが。
池田町には、十勝川と利別川という、大きな川が2本流れています。
内陸には道路などない開拓期においては、川を遡っての船での輸送が大きな役割を果たしました。
そして、集落ができてからも、橋の建設はなかなか難しく、それこそ昭和の時代に至るまで、渡し船が活躍したようです。

十勝川は大きな川だけに、かつではあちこちに渡船場があったようで、現在でもその痕跡が残っている場所もあります。
渡船というからには、人と自転車、荷車、せいぜい馬くらいは乗せたのだろうなあ、と思っていたのですが。
この写真には驚きました。

なんとタクシーが乗っています。
これは大正期のようで、十勝川の渡船です。
で、こんな大きな船もあったのだなあ、と感心していたら、この写真で腰を抜かさんばかりに驚きました。

なんとバスが渡船に乗っています。
しかも説明によれば、昭和29年まで存続していたとか。
写真を見る限り、前後のタイヤギリギリの幅です。ていうか、こんな重い車両を横向きに乗せる発想が大胆です。
転落や転覆事故とかなかったのかなあ、と、思いをはせてしまいましたが、写真を見る限り、帽子をかぶったバスの運転手らしき人も、のんびり船に揺られているのが見て取れます。
やはりこういう部分では、のどかな時代だったのでしょうね。
今月初めの連休中に、池田へ行って来ました。
ぶらぶらと、気ままに車を走らせていると「資料館」の看板が目に付いたので、寄ってみたのです。

ここは、道東道の池田インターチェンジ近く、高島地区にある池田町郷土資料館で、画像でおわかりのように、元は高島中学校だった建物を利用しています。
さっそく入館してみると、やはり近くには農業関係の展示室がありました。

こういった農具関係はまあ、わりとよく見る展示品なのですが。
この展示室の壁にあるものが、なかなかに興味を引くものでした。
池田町の歴史は、この高島地区に大規模牧場が造られたことから始まり、鉄道の駅ができるまで、池田町の中心は高島だったのだそうです。
明治33年に水田試作地がつくられ、明治41年には本格的に稲作がなされていたと、初めて知りました。
今でこそ十勝は畑作中心で、水田のイメージはありませんでしたが、減反政策で畑作へ転換されるまで、池田は水田地帯だったのです。
そう言われてみると、この近隣の畑は、水田だった頃の名残があるようにも見えます。

先月書いた田園ホールの由来はこれだったのですね。
玉置浩二じゃなかったようです。(笑
先日、留萌市へ出張に行ったのですが、その際にちょっと不思議な地名を見かけました。
「バンゴベ」
なにかまるで謎のような地名です。
ナビ画面を拡大して、地名表示をさせると、なんと「留萌市留萌村バンゴベ」とあります。

留萌市の中に「留萌村」があるのも驚きですが、なぜに「バンゴベ」なのでしょう。
ここは、神居岩温泉の近くなのですが、アイヌ語の響きにしても、ちょっと聞き慣れた感じではありません。
あまりにインパクトのある地名だったので、調べてみましたが、あるものです。
意外なことに留萌振興局のHPにその答えがありました。
それによると、アイヌ語で下流の川を意味する「パンケベツ」が転訛して「バンゴベ」になったそう。
そう言われると、確かに浜言葉っぽい響き。
地元の浜訛りがそのまま地名になるなんて、なんだかちょっと楽しいですね。
とある山中を抜けている最中のことです。
突如雪が降り始めました。
と言っても、もちろん冬のそれではなく。
ちょうど、気象条件が重なっていたのでしょう。
近隣の木々が、一斉に綿毛を付けた種子を飛ばし始めたのでした。
うまく写真が撮れませんでしたが、右下の木から、まさしくぶわあ、と、綿毛が散っていきます。
車を運転していると、それはまるで雪の中を走っているよう。
でも、ちょっと移動するとすぐにそれはやんでしまいました。帰宅後調べてみると、恐らくはドロノキの種の飛散なようです。やはりその場所だけの条件の重なりなのでしょうね。
日高山脈もなんだか水墨画のように、幻想的に霞んでいます。

ずっと雨が降らず乾燥しているので、塵埃などもあると思いますが、山々でもあの雪が降っているのかも知れませんね。
5月下旬の北海道は、一気に気温が上がることもあるものの、今年のそれは上がり方が半端ないかんじです。
今日も日中はかなりの暑さで、明日はさらに上がり、明後日の予報に至っては、芽室町の最高気温が35.5℃、と目を疑うような数字が出ています。

近所ではエゾハルゼミがさかんに鳴き始めているのですが、エゾハルゼミは気温が20℃以上にならないと鳴かず、曇ったりして気温が20℃を切るととたんに鳴き止んでしまうのだと、以前生物に詳しい知人に教わったことがあります。
そんなわけで、エゾハルゼミの声を聞くと、夏らしさの演出に拍車をかけているかんじがしますね。

週末は運動会が開かれる学校もあるそうで、外に出る機会の方も多いと思います。
みなさま、どうぞ熱中症と紫外線には、十分にお気を付けください。
大樹町へ行って来ました。
ひさびさに、国道ではない道々を走っていますと、青い看板が目に付きました。

ああ、そう言えば大樹町で、バスの自動運転の実証実験が始まった、という記事が新聞に載っていたことを思い出しました。

これを見ると、新しい時代の技術が生まれつつあるのだなあ、と実感しますね。
人手不足の対策にもなるので、期待されているのでしょう。
新しい技術なので、マスコミが取り上げたくなるのもわかります。
しかし、個人的にはマスコミが持ち上げるように、そんなに簡単に実現するのだろうか、と思っています。
自動運転そのものを否定するのではありません。
しかし北海道は、なんと言っても冬の凍結路面や吹雪など、気象条件が厳しい面があります。そんな中で完全な自動運転が普及するのには、まだまだ開発に時間がかかるのではと思っています。
開発スピードそのものは、かなり早まるとは思うものの、信号や歩行者のない、高速道路は比較的早く自動運転が実現するかもしれませんが、一般道となるとどうでしょう。
先日もテレビで、まるですぐに自動運転全盛の時代が来る、そして運転など過去の遺物のようになる、事故を起こすから人間は車など運転してはいけない、という論調でしたが、果たしてそうでしょうか。
ヒトが車を運転するのは、苦痛ばかりではないと思うのです。
自分自身が車を運転するのが好きで、まったく苦にならないタイプなので、すべてが自動化されたとしても、自分自身で車を操る楽しさはなくならないし、そういったものは、残ると思っています。
もしも完全な自動運転が実用化したとしたら。
それは、現在で言う「自動車」とはまったく別の、鉄道や飛行機などと同じ「別の乗り物」であると、個人的には思っています。